さてさて、お久しぶりのシロヤギですヨ!
更新をサボっていたことは、まるでなかったかのように話を
進めていきますヨ。 いきますヨ! いくのです! いえっへー!
さて、バンクーバー五輪も終わりましたナ。
日本で盛り上がった競技といえばカーリング女子とフィギュア
女子だとシロヤギは勝手に思うですヨ。思うのです!
思わない子は、背後からバッサリいくのです。
そんな中。実はフィギュアスケートに関しては、シロヤギも
とても思うところがあるのです! 語りたいのです!
そう!(←明らかに強引)シロヤギがフィギュアスケートを
語る上で、決して外してはならない物語があるのです!
今回は、ついてこない子は置いていきますヨ! 義務教育では
ないのです! そのくらい、いいお話をしますヨ。
さあ、シロヤギがフィギュアスケートを語るとき、決して
外せない、ある男がいますヨ。
シロヤギはフィギュアスケートを語る際、残りの人生、
ずっとその男の名を語り続けなければならないのです。
それほどの男。
そう! その男の名はアレクセイ・ヤグディン。
アレクセイ・ヤグディン!
シロヤギを始め、多くの人が今もなお世界最高のフィギュア
スケーターと認める人類史上最高の男子フィギュアスケーター。
2002年ソルトレイクのゴールドメダリスト。
またの名を、銀盤の帝王。
なぜ、ヤグディンがそれほどまでに名を高めたか。そして、
それほどまでに名高いにもかかわらず、一般知名度が低いのか。
そのあたりを語っていきますヨ!
じゃじゃーん。物語は1998年にさかのぼるのです。
1998年。日本の長野で冬季オリンピックが開かれましたヨ。
そのフィギュアスケート男子の舞台に、ある少年が登場するのです。
その少年の名はアレクセイ・ヤグディン。
ロシアからきた弱冠17才のその少年は、並み居る強豪を押しのけ
5位に入賞。
17才で5位入賞。それはフィギュアスケート界においては、
まさに順風満帆!
日本人に、わかりやすくいうと、あの真央ちゃんが17才と
想像してくださいですヨ。
どう考えても、次は金ですヨ。その次も金ですヨ。へたすると
そのまた次も金。そのくらいの勢い。
選手生命というものを考えても、最大あと3回五輪に出場可能。
そして、そのすべてで金を取る可能性のあるスーパースケーターの
出現。世界中の誰もが思いましたヨ。
アレクセイ・ヤグディンという名の次世代のゴールドメダリストが
現れたと。
しかし、その1998年の夏。とんでもないことが起こるのです。
長くなたので以下、次号!
…と思たのですけど、そうすると続きを知りたい人は調べますよナ。
なので、書きますヨ(長いネタだと、こういうところが面倒くさい
のですよな。まったく、もう!)。
さあ、1998年の夏。ナニが起こたのカ。
なんと、それまでヤグディンのコーチを努めていた人がヤグディンを
見限って、当時頭角を現していた、同じくロシアのスケーターで
ヤグディンの後輩エフゲニー・プルシェンコを指導するようになたのです。
ちょーショック!
ヤグディンと指導方針についてソリの合わなくなたコーチは、ヤグディンを
見限り、弟弟子であるプルシェンコに注力するのです。しかもしかも!
お話はここでは終わりませんヨ!
なんとヤグディンに、さらなる不幸が訪れるのです!
それはヤグディンのフィギュアスケーターとしての競技人生にとどめを刺す
致命的な病の発覚!
その名は「先天性股関節疾患」
生まれ持って大腿骨が脱臼しやすい(足のつけ根が外れる)病気で、
普通に生活するだけでも、10年から20年に一度手術が必要な病気なのだ
そうです。
先天性疾患。生まれもって、決して治ることのない病。
それは銀盤を舞うフィギュアスケーターにとって、翼をもがれたも
同然なのです。選手生命は絶望的。これで完全にコーチに見限られましたヨ。
コーチに見限られ、さらに翼をもがれた絶望のフィギュアスケーター。
アレクセイ・ヤグディン。その彼は、どうしたカ?
なんと、その究極の絶望にもかかわらず、彼は諦めないのです!
生涯最後に、ただ一度! もがれた翼を取り戻すために!
単身アメリカに渡り、アメリカ人コーチの元で練習を再開するのです。
人生最後のオリンピック、約束の地ソルトレイクでゴールドメダルを
獲得するために!
その後、ヤグディンは世界選手権3度の優勝をひっさげて、再び五輪の
リンクに帰ってくるのです。どれほどの栄光を重ねても、五輪のリンクに
勝るものはないのです。
栄光と絶望はコインの表と裏。そう!
彼が獲得した3度の世界選手権優勝という栄光は、選手生命のタイムリミット。
時限爆弾付きの栄光だたのです。
そのタイムリミットとは2002年。ソルトレイク。
ヤグディンのすべてはタイムリミットのために。フィギュアスケーターとしての
競技人生の最期。「そのとき」のためにあたのです。
そして! 向かえた2002年ソルトレイク。
冬季オリンピック。男子フィギュアの銀盤。
自分を見限ったコーチが育てた弟弟子。エフゲニー・プルシェンコとのまさしく
頂上決戦!
このとき、プルシェンコは19才。「次」のあるプルシェンコと違い、病を抱える
ヤグディンにとっては、これが人生最後のオリンピック。
2度と立つことのできない、最高の舞台。
ヤグディンにとっては、これ以上、どれほど努力を積んでも。たとえ血を吐く
努力を積んでも。生まれ持った病のために。
もう2度と出場できない最高の舞台。オリンピックの銀盤。
演技が始まるまで1:40ほどかかりますけど、一番カメラワークがいいので、
この動画を採用しましたヨ。
音が出るので注意ですヨ!
人生最後の晴れ舞台。競技人生最期の舞台。アレクセイ・ヤグディンが
見せた。いやさ!「魅せた」! 演技が、これなのです!
さあ! その第一幕!
ショートプログラム(Winter)
日本語解説付きバージョン(カメラワークがいまいち)
この美しさ。言葉は不要ですヨ!
世界各国の解説者が叫びますヨ!
「パーフェクト! パーフェクト! パーフェクト!」
しかし! ドラマは、この後に起こるのです!
なんと、大にして唯一のライバル、プルシェンコが、まさかのジャンプミス!
一気にヤグディンはゴールドメダル獲得の栄光に、その手をかけるのです。
ヤグディンは、続くフリーの演技でミスさえしなければ、ミスさえしなければ
金メダル獲得が約束されましたヨ。ミスさえしなければいいのです。
普通なら、絶対ミスをしないためにプログラムを変更し、難易度を下げて
フリー演技に挑みますヨ。人生最後の五輪。金メダル獲得のため、世界中の
誰もがヤグディンは「難易度を下げる」。そう思いましたヨ。
しかし、ヤグディンは、どうしたカ!
なんと一切、難易度を下げることなく、人生最後の五輪の銀盤に持てる人生最高の
技術と演技で挑むのです!
失敗すればゴールドメダルを失うのに、それでも彼は頂上へ!
世界の頂上へ向け、銀盤を舞うのです!
競技人生「最期」の舞台を汚さぬために!
まさしく男ですヨ! いやさ漢ですヨ!
その演技が、これ!
フリープログラム(仮面の男)
そして、彼が手にしたのは完全勝利!
アレクセイ・ヤグディンはゴールドメダルを獲得し、帝王と呼ばれるのです。
ヤグディンが手にしたのは、ただの金メダルではありませんヨ!
アスリートとしてのプライドと誠意。いや、それ以上の「なにカ」
だからこそ、アレクセイ・ヤグディンは、今もなお銀盤の帝王と呼ばれるのです。
そしてショート、フリーの規則から放たれ、本来の意味で「自由」に帝王が舞った
史上最高、至宝の4分間エキシビジョンが、これなのです!
エキシビジョン(Overcome)
さらに。
エキシビジョンアンコール
http://www.youtube.com/watch?v=WfqYfMFoIFQ
オマケ(どこかのアホが作った、ちょー面白いもの)
そして、ヤグディンは、この直後に競技人生のタイムリミットを迎えて、引退し、
伝説になたのです。
2002年ソルトレイクの銀盤という、一瞬を駆け抜けた史上最高のスケーター
アレクセイ・ヤグディン。その伝説の物語でしたヨ!
今、ヤグディンはプロスケーターとして、会社社長として、フィアンセとともに幸せに
暮らしているそうですヨ! でわー!
更新をサボっていたことは、まるでなかったかのように話を
進めていきますヨ。 いきますヨ! いくのです! いえっへー!
さて、バンクーバー五輪も終わりましたナ。
日本で盛り上がった競技といえばカーリング女子とフィギュア
女子だとシロヤギは勝手に思うですヨ。思うのです!
思わない子は、背後からバッサリいくのです。
そんな中。実はフィギュアスケートに関しては、シロヤギも
とても思うところがあるのです! 語りたいのです!
そう!(←明らかに強引)シロヤギがフィギュアスケートを
語る上で、決して外してはならない物語があるのです!
今回は、ついてこない子は置いていきますヨ! 義務教育では
ないのです! そのくらい、いいお話をしますヨ。
さあ、シロヤギがフィギュアスケートを語るとき、決して
外せない、ある男がいますヨ。
シロヤギはフィギュアスケートを語る際、残りの人生、
ずっとその男の名を語り続けなければならないのです。
それほどの男。
そう! その男の名はアレクセイ・ヤグディン。
アレクセイ・ヤグディン!
シロヤギを始め、多くの人が今もなお世界最高のフィギュア
スケーターと認める人類史上最高の男子フィギュアスケーター。
2002年ソルトレイクのゴールドメダリスト。
またの名を、銀盤の帝王。
なぜ、ヤグディンがそれほどまでに名を高めたか。そして、
それほどまでに名高いにもかかわらず、一般知名度が低いのか。
そのあたりを語っていきますヨ!
じゃじゃーん。物語は1998年にさかのぼるのです。
1998年。日本の長野で冬季オリンピックが開かれましたヨ。
そのフィギュアスケート男子の舞台に、ある少年が登場するのです。
その少年の名はアレクセイ・ヤグディン。
ロシアからきた弱冠17才のその少年は、並み居る強豪を押しのけ
5位に入賞。
17才で5位入賞。それはフィギュアスケート界においては、
まさに順風満帆!
日本人に、わかりやすくいうと、あの真央ちゃんが17才と
想像してくださいですヨ。
どう考えても、次は金ですヨ。その次も金ですヨ。へたすると
そのまた次も金。そのくらいの勢い。
選手生命というものを考えても、最大あと3回五輪に出場可能。
そして、そのすべてで金を取る可能性のあるスーパースケーターの
出現。世界中の誰もが思いましたヨ。
アレクセイ・ヤグディンという名の次世代のゴールドメダリストが
現れたと。
しかし、その1998年の夏。とんでもないことが起こるのです。
長くなたので以下、次号!
…と思たのですけど、そうすると続きを知りたい人は調べますよナ。
なので、書きますヨ(長いネタだと、こういうところが面倒くさい
のですよな。まったく、もう!)。
さあ、1998年の夏。ナニが起こたのカ。
なんと、それまでヤグディンのコーチを努めていた人がヤグディンを
見限って、当時頭角を現していた、同じくロシアのスケーターで
ヤグディンの後輩エフゲニー・プルシェンコを指導するようになたのです。
ちょーショック!
ヤグディンと指導方針についてソリの合わなくなたコーチは、ヤグディンを
見限り、弟弟子であるプルシェンコに注力するのです。しかもしかも!
お話はここでは終わりませんヨ!
なんとヤグディンに、さらなる不幸が訪れるのです!
それはヤグディンのフィギュアスケーターとしての競技人生にとどめを刺す
致命的な病の発覚!
その名は「先天性股関節疾患」
生まれ持って大腿骨が脱臼しやすい(足のつけ根が外れる)病気で、
普通に生活するだけでも、10年から20年に一度手術が必要な病気なのだ
そうです。
先天性疾患。生まれもって、決して治ることのない病。
それは銀盤を舞うフィギュアスケーターにとって、翼をもがれたも
同然なのです。選手生命は絶望的。これで完全にコーチに見限られましたヨ。
コーチに見限られ、さらに翼をもがれた絶望のフィギュアスケーター。
アレクセイ・ヤグディン。その彼は、どうしたカ?
なんと、その究極の絶望にもかかわらず、彼は諦めないのです!
生涯最後に、ただ一度! もがれた翼を取り戻すために!
単身アメリカに渡り、アメリカ人コーチの元で練習を再開するのです。
人生最後のオリンピック、約束の地ソルトレイクでゴールドメダルを
獲得するために!
その後、ヤグディンは世界選手権3度の優勝をひっさげて、再び五輪の
リンクに帰ってくるのです。どれほどの栄光を重ねても、五輪のリンクに
勝るものはないのです。
栄光と絶望はコインの表と裏。そう!
彼が獲得した3度の世界選手権優勝という栄光は、選手生命のタイムリミット。
時限爆弾付きの栄光だたのです。
そのタイムリミットとは2002年。ソルトレイク。
ヤグディンのすべてはタイムリミットのために。フィギュアスケーターとしての
競技人生の最期。「そのとき」のためにあたのです。
そして! 向かえた2002年ソルトレイク。
冬季オリンピック。男子フィギュアの銀盤。
自分を見限ったコーチが育てた弟弟子。エフゲニー・プルシェンコとのまさしく
頂上決戦!
このとき、プルシェンコは19才。「次」のあるプルシェンコと違い、病を抱える
ヤグディンにとっては、これが人生最後のオリンピック。
2度と立つことのできない、最高の舞台。
ヤグディンにとっては、これ以上、どれほど努力を積んでも。たとえ血を吐く
努力を積んでも。生まれ持った病のために。
もう2度と出場できない最高の舞台。オリンピックの銀盤。
演技が始まるまで1:40ほどかかりますけど、一番カメラワークがいいので、
この動画を採用しましたヨ。
音が出るので注意ですヨ!
人生最後の晴れ舞台。競技人生最期の舞台。アレクセイ・ヤグディンが
見せた。いやさ!「魅せた」! 演技が、これなのです!
さあ! その第一幕!
ショートプログラム(Winter)
日本語解説付きバージョン(カメラワークがいまいち)
この美しさ。言葉は不要ですヨ!
世界各国の解説者が叫びますヨ!
「パーフェクト! パーフェクト! パーフェクト!」
しかし! ドラマは、この後に起こるのです!
なんと、大にして唯一のライバル、プルシェンコが、まさかのジャンプミス!
一気にヤグディンはゴールドメダル獲得の栄光に、その手をかけるのです。
ヤグディンは、続くフリーの演技でミスさえしなければ、ミスさえしなければ
金メダル獲得が約束されましたヨ。ミスさえしなければいいのです。
普通なら、絶対ミスをしないためにプログラムを変更し、難易度を下げて
フリー演技に挑みますヨ。人生最後の五輪。金メダル獲得のため、世界中の
誰もがヤグディンは「難易度を下げる」。そう思いましたヨ。
しかし、ヤグディンは、どうしたカ!
なんと一切、難易度を下げることなく、人生最後の五輪の銀盤に持てる人生最高の
技術と演技で挑むのです!
失敗すればゴールドメダルを失うのに、それでも彼は頂上へ!
世界の頂上へ向け、銀盤を舞うのです!
競技人生「最期」の舞台を汚さぬために!
まさしく男ですヨ! いやさ漢ですヨ!
その演技が、これ!
フリープログラム(仮面の男)
そして、彼が手にしたのは完全勝利!
アレクセイ・ヤグディンはゴールドメダルを獲得し、帝王と呼ばれるのです。
ヤグディンが手にしたのは、ただの金メダルではありませんヨ!
アスリートとしてのプライドと誠意。いや、それ以上の「なにカ」
だからこそ、アレクセイ・ヤグディンは、今もなお銀盤の帝王と呼ばれるのです。
そしてショート、フリーの規則から放たれ、本来の意味で「自由」に帝王が舞った
史上最高、至宝の4分間エキシビジョンが、これなのです!
エキシビジョン(Overcome)
さらに。
エキシビジョンアンコール
http://www.youtube.com/watch?v=WfqYfMFoIFQ
オマケ(どこかのアホが作った、ちょー面白いもの)
そして、ヤグディンは、この直後に競技人生のタイムリミットを迎えて、引退し、
伝説になたのです。
2002年ソルトレイクの銀盤という、一瞬を駆け抜けた史上最高のスケーター
アレクセイ・ヤグディン。その伝説の物語でしたヨ!
今、ヤグディンはプロスケーターとして、会社社長として、フィアンセとともに幸せに
暮らしているそうですヨ! でわー!
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by shiroyagi25
| 2010-03-13 06:34
| モモのおはなし